「ほら!こんなにも美しい―いや美などなんでもない―この正確さと調和だよ。こんなにも脆く、それでいて強靱。そして精密。これが自然というものだ―強大な力と力が組み合って生まれる均衡。星の一つ一つ、草木の一葉一葉がそのようにしてそこに存在するのだ―そしてその完璧な平衡のもとで力をみなぎらせる宇宙が、これを生み出す。この驚嘆すべき生きものをね。自然という偉大な芸術家が作り出した傑作だ。」
Joseph Conrad ≪Lord Jim ≫
蝶の魅力とはなんでしょうか?まず、思い浮かぶのはその翅の美しさでしょう。彼等の翅の斑紋や翅形は実に多様であり、その変幻自在な色彩・デザイン感覚は、おそらく他の昆虫を見ても類がないものです。
世界には驚異としか言えないような、目を見張る素晴らしい蝶が存在しています。それはあたかも神が創り賜うた、あるいは人智を超えた何か超的な存在によって産み落とされたものとしか説明とさえ思うほどです。18,000種以上と言われる世界の蝶たちが、神知による創造の一環として誕生せし生き物として考えてみる...それはそれで興趣が尽きないものでありますが、ここでは一旦、今日広く学界で支持されている生物学的な観点を持ってその理由を考えてみましょう。
蝶が持つ洗練された不思議な造形美は、ただ我々人間の審美への欲求を満たすためにあるのではありません。一般的に知られている学識において、そのひとつの理由として“捕食者から生き残り、世代を紡いでいくための戦略”との説明がなされます。
しかしこれは、蝶だけに言えることではありません。動物も植物も菌類も、命の星に住まいし多くの生き物たちが種の生存と繁栄の為に最も意識して行ってきた営みであり、生物が文字通り生きているものとして生きていくための普遍的な原理です。ヒトに尻尾がないのも、ネコの目が暗闇でも光るのも、全て長い進化の過程で獲得した努力と知恵と工夫による産物です。
この、「自然選択説」と呼ばれる学説こそ、ダーウィンやウォーレスにから始まり、今日広く受け入れられている進化論を支える基柱となるものです。
そして、こうした自然選択説の見地から生物学を論じる試みとして「進化生物学」と「行動生物学」が挙げられます。前者は生物の進化と適応、繁殖、多様性のメカニズムを解析し、生物の本質を思考し研究する学問、後者は生物の行動や生態がその中でいかに生存し、適応し、進化してきたかについて研究する学問です。
蝶が成虫になり、世代を紡ぐにあたって最もその生存を脅かし続けてきた捕食者は、紛れもなく鳥でした。そして、彼らが天敵たる鳥から生き延びるために編み出した視覚的な戦略が翅の模様と色彩だったのです。例えば、強く妖しい配色によって鳥に自身が毒蝶であることを誇示する警告色、そうした毒蝶同士が互いに似た配色を行うことで捕食のリスクを低減する「ミューラー型擬態」、あるいは無毒の蝶が毒蝶の配色を真似する「ベイツ型擬態」、ヘビやフクロウ等に似た模様によって鳥を驚かせる「眼状紋」(目玉模様)、周りの景色(枯葉や草)などに擬態することにより鳥から発見を免れる「保護色」等、多様な手段を獲得してきました。蝶が他の昆虫に比べ華麗な種が多く、様々なの配色と模様を持つことができた理由は、身体の大部分を占める翅を丸ごと天敵対策に活用できたことが大きいです。
蝶は、一億年以上前に誕生したとされています。そして今日に至る種分化の過程の中で、多くの種が生き残りを懸けて編み出してきた創作物こそ翅であり、それは同時に、数えきれない試行錯誤と多くの犠牲のもとに生み出されてきた苦心と努力の結晶であり、彼らのしたたかさを示してくれる紛れもない証左です。
蝶の翅の造形美をこうした学説に落とし込んで考えてみると、この生き物が宿せし無限にも思える可能性が見えてきます。もし原色図鑑や検索サイトなどで美しい蝶を見る機会があるのなら、こうした学識に基づいてあれこれ考えてみるのも面白いかもしれません。
蝶が秘めしもうひとつの魅力は翅の変異の多様さからくるコレクション性に関連しています。
その理由としてまず挙げられるのは、前述のように蝶が圧倒的な種多様性をもつことにあります。しかし実は、18,000種という数は、他の昆虫綱に含まれる諸分類と比べればそこまで多くない、なんとも絶妙な数なのです。例えば、これ以上総数が多くなってしまうと、いくら熱心な蒐集家といえど、その多くを埋めるのに膨大な時間と労力を費やすか、あるいはほとんど不可能とも言えるでしょう。しかし、数が少なければ、かえってその収集欲は衰えることになるかもしれません。この「無限に見えるが、実はほとんど網羅することは可能な数」を持っているということは、蝶が収集対象として高い潜在性を有していることをうまく説明づけているのです。
さらに注目すべきは、蝶の分布が地理的・環境的に強く偏在している点でしょう。蝶は気候、標高、植生といった環境条件に敏感であり、特定の地域や生態系にのみ生息する種が多いです。その上、種以下のレベルである亜種や型、個体変異を含めればそ組み合わせは無限であり、蝶屋の中にある特定の種のみを蒐集している人たちがいるのも全く頷けることです。このような偏在性は、蝶の収集を単なる「数集め」ではなく、地理的探究や生態理解を伴う行為へと変化させてくれます。
最後に、その極めて高い鑑賞価値は、標本として展翅された蝶は、飛翔時の動的な美しさとは異なり、静的かつ持続的な鑑賞を可能にします。複数の標本を系統的に並べることで、近縁種間の微妙な差異や進化的傾向を視覚的に理解することさえできます。蝶のコレクションは「美術」作品の展示と「科学」的比較資料としての双方の性格を併せ持っており、こうしたことからも蝶がいかに稀有な存在が見てとれます。
こうした多様な変異は、単なる観賞対象を超えて「集める悦び」を生み出します。標本箱を埋めるごとに、自らのコレクションが地理や季節、個体の偶然を写し取った図鑑となり、採集者の歩んだ道のりや思い出がそこに刻まれまるのです。
鋭意執筆中。
鋭意執筆中。
かつて、アメリカの生物学者P. R. Ehrlichは、「蝶の研究は未来を洞察できる」と予言しました。筆者はその言葉を、彼の名高い著書『The Population Bomb』において述べられているように、人口増加とそれに追随して起こる環境問題に伴う生物多様性の減退を意識しての発言だったと解釈しています。環境問題は筆者が生まれる前よりずっと飛び交ってきた議論ですが、インドネシアへ行った際、プランテーション設立のための森林破壊を間近で目にし、衝撃を受けてから後、一層深刻かつ急を要する問題に感じました。近年の蝶の減少は、もちろん我々蝶屋による採集圧の影響も無視できませんが、生息地破壊による要因が多くを占めるというのは、承知のとおりです。
筆者は、各地を旅していく中で、(気候・地形・植生などの)環境によって社会や文化を築いてきた人間が、西洋のスタンダード(資本主義・合理主義・民主主義など)という“異質な”押し付けに端を発する昨今の環境問題に対し、現地の人々がどのように捉え、どこまでの抵抗力を備えているのかということについて考えていきたいと思っています。
環境問題とは、特に蝶屋や生き物を扱う人に対して、丹念に扱う課題であるでしょう。
当ウェブサイトでは、蝶を取り巻く様々な事象のうちのひとつとして、こうした問題にも着目していきます。